どうも、souljemです。
薄桜鬼の新選組
なにこれ〜、、、とてつもなくカッコイイんですけど、、、
左から沖田総司、原田左之助、土方歳三、斎藤一、、、中央下が藤堂平助、、、
皆、ちょっとクールで悪そうなのがいいですよね、、、
女性がやられちゃう気持ちが分かります、、、
そしてこちらが洋装の土方歳三、、、
やはり似合いますね、、、カッコイイです、、、
土方は早くから洋装の機能性に気づき、率先して髷を落とし戦場では洋服を着用していたそうです、、、
論理的で、無駄なことを嫌う土方らしいですね、、、
ふと気づいたのですが、新選組と土方歳三の足跡を辿るという事は、、、
自動的に薄桜鬼の聖地巡礼をしているという事になりますよね、、、
女性に圧倒的な人気を誇る薄桜鬼、、、
その薄桜鬼ファンの方々が聖地を巡礼するにあたり、少しでも参考になれば幸いです、、、
さて、、、
前回はタワー内部を見学したのですが、今回は五稜郭公園の中に入ってみましょう、、、
中央に見える函館奉行所を目指して、、、
タワーからだとこの部分からの入園となります、、、
なお、五稜郭公園は誰でも無料で入ることが出来ますよ、、、
函館市民の憩いの場所になっており、毎年花見の季節は大いに賑わうそうです、、、
薄桜鬼の最終回、風間千景との決戦も、ここ五稜郭でしたね、、、
桜舞い散る本当に美しいシーンでした、、、
函館戦争供養塔
その名の通り函館戦争と五稜郭に関わった人々の慰霊、供養のために、昭和47年(1972)に建立されたものだそう、、、
もちろん、その中に土方歳三の名も入っています、、、
さあ、入ってみましょう、、、
一の橋
あの星型の中に入るには2つの橋を渡ります、、、
あちらの小高い場所に大砲を並べ敵の侵入を防いだそうです、、、
そこから見た五稜郭タワー、、、
いいですね、、、これぞ函館、という景色です、、、
天気に恵まれた事に感謝です、、、
二の橋
この橋を渡ると、まさにあの星型の中です、、、
さあ、来ました、箱館奉行所の正門、、、
箱館とありますが、これはこの地のもともとの表記、なぜ函館という表記に変わったのかは定かではないそうですが、おそらく明治2年(1869年)から函館という表記に変わったそうです、、、
当時、何があったのか分かりませんが、土方が生きていた頃は箱館だったわけですね、、、
見える、、、馬に乗って颯爽と走る土方歳三が、、、
こちらが旧幕府軍の本陣、、、
函館戦争終結の2年後に解体されましたが、140年経った2010年(平成22年)復元されました、、、
函館の中でもかなり新しい建造物です、、、
この建物の凄いところは、当時の木材や工法など古建築技術や資料に基づいて、日本における最高の職人によって当時の姿、そのままに復元されているということ、、、
その技術は素晴らしく、海外の建築家も多く訪れるほどだそうです、、、
私に建築の知識はありませんが、襖や欄間、畳に至るまで、どの部分を見てもため息が出るくらい綺麗で精巧に造られています、、、
建設中の映像もドキュメンタリーで観る事も出来ますよ、、、
箱館の歴史も、、、
武器の展示もありますよ、、、
こちらは奉行所最上部の太鼓櫓への入り口、、、
ですが立入禁止、、、
当時の構造をそのまま再現された為、現在の法律に合わなかったのでしょうか、、、
そしてこちら、、、
釘を使わずに木材をつなぎ合わせる技術、、、まさに日本の匠の技、、、
いや〜勉強になりました、、、建立の知識ゼロの私でも感心してしまうレベルなのですから、その筋の方々なら尚の事ですね、、、
とても綺麗に整備された奉行所前の広場、、、
休憩所やお土産店もありましたよ、、、
ありました、本物の大砲です、、、
右側の大砲が、旧幕府軍に撃沈された新政府軍の軍艦朝陽の大砲、、、
左側の大砲が、旧幕府軍が築島台場に設置していた大砲、、、
お互いの軍の大砲が展示されているのが凄いですね、、、本物ですよ、本物、、、
さて、これで五稜郭を一通り巡ったのですが、最後にもう一ヶ所だけどうしても見てみたい場所があったのです、、、
それがこちら、、、
所詮あるのですが、土方歳三が埋葬されていたのではないか、とされる一本松の土饅頭、、、
他にも願乗寺説や碧血碑説、激しい戦火で燃え尽きたのでは、、、などといろいろな説があるのですが、、、今となってはどれも憶測でしかありません、、、
しかしながらこの五稜郭説には少しだけ根拠があるのです、、、
明治11年(1878年)、五稜郭の土塁修理のため掘り返した時、数多くの遺体がみつかっています、、、
明治16年(1883年)の函館新聞には、その遺体は願乗寺に改葬され、その後別の場所に改葬されているとあり、その改葬場所は分かっていません、、、
雑誌「旧幕府」に掲載された明治32年(1899年)の「旧幕府史談会」で「伊庭八郎の遺体は五稜郭の土方歳三の傍に眠っている」との証言があり、これは今でも信憑性が高いと言われています、、、
伊庭八郎という人物は新選組隊士ではありませんが、徳川幕臣であり土方歳三の試衛館時代からの親友でもあったと言われています、、、
コアな新選組ファンならご存知でしょうね、、、
片腕の凄腕剣士と呼ばれた彼でしたが、土方が戦死した翌日、自らモルヒネを飲んで自決、、、
旧幕府軍関係者の発言記録によると、旧友の二人は隣同士に埋葬されたといいます、、、
そしてこちらが伊庭八郎が埋葬されていた場所なのです、、、
ということは、 この一本松の根元に、、、二人が眠っていた、、、
一時的ですが、ここで土方が、、、
真実は分かりませんが、、、こういうのが歴史ロマンの醍醐味です、、、
本当の事は誰にも分からないのですから、想像して楽しむくらい許されますよね、、、
ここには度々花束が手向けられているそうで、僭越ながら私も静かに手を合わさせて頂きました、、、
どうか安らかに、、、
この一本松は、さきほど紹介した大砲の隣にある兵糧庫のそばにありますよ、、、
土方ファンの方々は是非、、、
さて、こうして一通り五稜郭を巡ったのですが、、、
私としては、この空気を感じたまま前回紹介した「土方歳三、最期の地碑」へ訪れる事をオススメします、、、
追悼の思いが増し、きっと忘れられない思い出になると思いますよ、、、
ここは、土方歳三の優しさで溢れた街なのですから、、、
さて、、、
飛行機まで 少し時間がありましたので、ベイエリアをぶらぶら、、、
これぞ函館、という景色ですね、、、
十字街にある坂本龍馬像、、、なんで?
龍馬が函館に来た事実はありませんが、その家督を継いだ甥が維新後に函館に移住、函館裁判所に勤務されていたそうです、、、その子孫の資料を展示する記念館がここ、、、
坂本龍馬記念館
入館はしませんでしたが、こんな所でも幕末を感じられるのは嬉しい事ですね、、、
そしてこちら、赤レンガ倉庫内の函館武将館、、、
どうですか、このでっかい土方看板、、、
描き手が違うとこんなにも雰囲気が違うのですね、、、
しかしながら、皆共通して男前、、、
出ました、、、
土方歳三3D顔出し、、、
こちら、平面の顔出しに比べ、大幅にコストかかってます、、、さすが函館、、、
新選組の刀たち、、、
和泉守兼定だけないのは売り切れだからでしょうか、、、素晴らしい!
なんというか、京都の壬生より新選組色が濃い様に思います、、、
こちらのワインも函館ではお馴染みみたいです、、、
居酒屋で普通に飲めたりしますよ、、、
さて、、、
以上が今回私が函館で巡った場所全てです、、、
碧血碑や土方歳三記念館も行きたかったのですが、予定が合わず、、、
次回リベンジですね、、、
今回巡ってみた感想としては、、、やはりここ函館で土方歳三は絶対的な英雄でした、、、
誰もが土方を愛し尊敬することが当たり前、、、という空気すら感じます、、、
これは明らかに京都では感じなかった感覚です、、、
京都は幕末、明治維新の最前線、、、多くの幕末ヒーローが暗躍していた場所、、、
池田屋事件で名を挙げたとはいえ、やはり悪役、脇役といった感は否めません、、、
正直、池田屋事件があろうがなかろうが徳川幕府は滅んでいたし、明治維新は成されています、、、
しかしながら、旧幕府軍が薩長に対し最後まで諦めず、新政府軍と戦った事実がここ函館にはあります、、、
そして、その中心人物であった土方歳三が英雄とされるのは言わずもがなです、、、
嬉しい事ですね、、、
本当に来ることが出来て良かったと思います、、、
おそらく同様に日野や多摩もそうなのでしょう、、、これは行かなきゃですね、、、
新選組ファンの方々、、、是非とも訪れてみてください、、、
土方歳三の優しさに溢れた街、、、函館へ、、、
そこにはきっと土方歳三が遺した新選組の最後の魂がありますよ、、、
長々と書いてしまいましたが、読んで頂いた方々に感謝です、、、
本当にありがとうございました、、、