どうも、soul jemです。
さてさて、、、
前回の新選組展で充実した時間を過ごした私ですが、、、
新選組展2022& 京都さんぽ - soul jemの聖地巡礼日記 (hateblo.jp)
その「幕末モード」を維持したまま、さっそく次の目的地へと出発です、、、
向かうのは、京都霊山護國神社、、、
そう、ここは幕末の動乱期に活躍した志士たちを祀った神社であり、境内には坂本龍馬、中岡慎太郎、桂小五郎をはじめ、たくさんの志士たちのお墓があるのです、、、
私は過去に一度訪れた事があるのですが、ちゃんとお参りするのは今回が初めてです、、、
場所は、まさに京都観光の最前線、、東山エリア、、、
清水寺や八坂神社、高台寺、祇園といった超人気スポットが集まるエリアなのですが、最寄り駅からはかなり離れているのでバスを使うのがベター、、、
しか〜し、、、
マジかよ、、これに並ぶのか、、、新型iPhoneの発売日じゃねーんだぞ、、、
見ただけで疲れる光景ですが、そうも言ってられません、、、
30分ほど並んでようやく出発です、、、
ヨーソロ〜〜!!(⇦乗合バス)まあぶっちゃけ、観光シーズンに東山へ行くのなら、、悪いことは言いません、タクシーを利用した方がいいと思います、、はい。
車内でもみくちゃにされながらようやっと到着、、、マジ疲れたでごさる、、、
さて、バスを降りるとすぐ見えるのがこの鳥居、、、
人気エリアなので人は多いのですが、この鳥居を霊山護國神社のものだと認識する人はほぼいません、、、なぜならその存在自体を知らないから、、、
鳥居をくぐると、ゆるやかな坂道が遥か先まで一直線に伸びています、、、
この坂は「維新の道」と呼ばれ、坂本龍馬たち勤皇志士が眠る霊山墓地まで続いています、、、ちなみに命名したのは松下幸之助なのだそう、、
坂を登ること5分、、高台寺の入口が見えてきました、、、
ここから左へ曲がると八坂神社のある祇園方面、、、
人がいっぱい、、、
右へ曲がると産寧坂から清水寺へと続いています、、、ここも人がいっぱいです、、、
しかし、そんな浮わついた場所(⇦浮わついてはいない、、)には目もくれず黙々と坂を登る、、、
すると、二つ目の鳥居が現れます、、、
立派な狛犬様もお出迎え、、、
さっきまであれだけ人がいたのに、ここから先はマジで誰もおらんのんよ、、、
この鳥居をくぐるとようやっと、、、
ってまだあんのか~い、、、
しかも坂が急になりおった、、、
そして、さらに登ること5分でようやく到着です、、、
向かいには以前訪れた霊山歴史館が、、、
ここ、、幕末ファンにはかなりオススメですよ、、、
慶応4年(1868年)、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たちの御霊を奉祀するため、この地に佳域社を創建せよ、との御沙汰が発せられた事がこの社の始まりなのだそう、、、
招魂社(明治維新前後から国家のために殉難した死者を祀る各地の神社)の最初でもあり、、当然、靖国神社よりも歴史は古い、、、
しっかりと天皇家の紋章が、、、
本殿内には坂本龍馬と中岡慎太郎の姿も、、、
しっかりとお参りして、、、
境内にはたくさんの慰霊碑がありました、、、
さて、それでは志士たちのお墓がある霊山墳墓に行ってみましょう、、、
こちらの社務所の横から入場できますよ、、、
入場ゲートに拝観料(300円)を入れて入場です、、、
ちなみに閉門は5時なのでご注意を、、、
こ、これは、、、
なん、だと、、なぜ維新の志士たちを祀る神社に「ラブライブ」のガシャポンが、、、
しかも「μ's」と「Aqours」両方あるぞ、、、
こ、これはもはや「μ's」と「Aqours」が坂本龍馬たちと同等レベルの存在だということなのか、、、
すげぇな「ラブライブ」、、、思わず回してしまいそうになったぞ、、、
まあいいや、、、
ゲートを通ると階段が現れます、、、
案内図もありましたよ、、、
こんなにあるのか、、、
この階段をひたすら登る、、、
とにかく登る、、、
っていうか蚊が多いぞ、、、
そして、3分くらい登るとこんな看板が、、、
見えました、、もう一息です、、、
そしてついに、、、
左が坂本龍馬、、右が中岡慎太郎の墓石です、、、
1867年11月15日、醤油商近江屋にて二人は会談中に刺客に襲われ命を落とします、、、
そして、近江屋での葬儀の後、ここ霊山に埋葬されたのです、、、
歴史的有名人は通常、それぞれのゆかりの地に墓石があるものですが、坂本龍馬と中岡慎太郎については、ここ霊山に遺体が埋葬されていますので、まさに正真正銘のお墓なのです、、、
しっかりと手を合わせて、、、
そして、墓石の右側には二人の小さな銅像があります、、、
当時としては大柄だった龍馬との身長差を隠すための配慮と言われています、、、
そして、二人の目線の先には京都の街が広がっています、、、二人は今の京都を見て何を思うのでしょう、、、
こちらがその景色、、、
盆地である京都らしい景色です、、、
おお、、これは薄明光線ではありませんか、、、
これは美しい、、、自分で撮影出来たのは初めてです、、、
宮沢賢治はこれを「光のパイプオルガン」と喩えたそうです、、(⇦「明日ちゃんのセーラー服」で言ってた、、)
八坂の塔によく映えます、、、曇りの日でも良い事はあるものですね、、、
それでは、他のお墓もお参りしましょう、、、
龍馬の墓の隣にあるのが山田藤吉の墓、、、龍馬の付き人で用心棒でもあった人ですね、、、
こちらには長州藩士たちのお墓がずらり、、、
やはり長州藩が多いですね、、、
こちらは池田屋事件で亡くなった志士たちのお墓、、、
新選組のことも書かれていますが、場所柄あまり良くは書かれていません、、、
その池田屋事件の発端となった人物、、古高俊太郎、、、
土方歳三に拷問されて長州の企てを吐いた人であります、、、
長州の大物で吉田松陰の親友でもあった宮部鼎蔵、、、池田屋での交戦の後、自刃、、、
こちらも吉田松陰の弟子、吉田稔麿、、、松下村塾で最も優秀な人物だったのだそう、、、
やはり長州にとって新選組がいかに許すまじ存在であったかが窺がえますね、、(⇦新選組展に行った後、、)
こちらは、言わずと知れた高杉晋作、、、
彼もまた吉田松陰の愛弟子、、、
他にもたくさんの志士たちのお墓がありましたがキリがないので割愛、、、
さあそれでは、この霊山墳墓の最も高い位置に鎮座する桂小五郎のお墓へ向かいましょう、、、
そう、、長州藩のリーダーであり、大久保利通、西郷隆盛とともに「維新の三傑」の一人に数えられる木戸孝允こと桂小五郎であります、、、
私は新選組ファンではありますが、この桂小五郎という人物のファンでもあります、、、
文武両道で剣の腕前は神道無念流免許皆伝、、、かなりの達人にもかかわらず、生涯一度も人を斬ったことがないというのですから実に興味深い、、、
血の気の多い長州藩の中でも異色の人物と言えるでしょう、、、
ありました、、、
桂小五郎の墓
やはり他のお墓に比べてかなり立派な造りです、、、
新選組の宿敵であり、池田屋事件ではギリギリのところで難を逃れたエピソードは有名ですね、、、
維新後も明治政府のトップの一人として近代国家・日本の礎を築いた人物です、、、恋人、幾松とのラブストーリーも素敵です、、、
そして、この墓の隣にあるのがその、、、
幾松の墓
こちらも立派なお墓です、、、彼女もまた幕末の動乱に身を置いた一人、、、
芸妓であった幾松は、命を狙われている桂小五郎を幾度も献身的に助けるうちに恋仲になります、、、
しかし当時、武士と芸妓では身分差があり結婚には大きな障害がありました、、、
そして長い戦争を経て維新後にようやく晴れて結婚できたのです、、、
二人の結婚は、身分差を乗り越えた正式な結婚として日本初のケースと言われているのだそう、、、
素敵なお話ですね、、、
新選組ファンではありますが、こうやって勤皇志士側から振り返る幕末もとても勉強になります、、、
やはり幕末は奥が深いです、、、
最後にもう一度「光のパイプオルガン」を、、、
「日本の夜明けは近いぜよ、、」っていう感じですね、、、
さあ、それでは山を下りて帰るとしましょう、、、
来た時は誰一人いませんでしたが、そのうちお参りする方々もちらほら、、、中には新選組展で見かけた方も、、、
改めて京都という街が幕末動乱の最前線であった事を実感します、、、
そして、彼らの犠牲と功績を基に、今の私たちの生活があるということも痛感です、、、
や~とっても勉強になりました、、、
ぜひ皆さんも京都霊山護國神社に訪れて、彼ら勤皇志士たちに思いを馳せてみてはいかがでしょうか、、、
地味だけどオススメですよ、、!!
以上、、、
読んで頂いた方々に感謝です、、、
ありがとうございました、、、