どうも、souljemです。
さて、、、
現在、京都に滞在中の私ですが、、、
遂に公開されましたね、、、
るろうに剣心 最終章
私はまだ観ていないのですが、、、
なにやら今作は緋村剣心の過去、人斬り抜刀斉だった頃のお話だそう、、、
マジか、、それはまさに動乱の幕末、、、
斎藤一はもちろんのこと、沖田総司や桂小五郎、高杉晋作まで登場するのだそう、、、
これは幕末ファンなら観るしかありませんよね、、、
みんな、、劇場へレッツゴ~~!!(コロナだけどね、、)
なんだこれ、、カッコイイにも限度があるだろ、、、いい加減にしろと言いたい、、、
さあ、、、
それでは巡礼の続きといきましょう、、、
壬生の巡礼を終え、一旦ホテルに戻った私はすぐさま出かけます、、、
京都駅 南口
やはり、人は少ないですね、、、
さて、、、
あまり知られていませんが、この京都駅の付近にも新選組の聖地がいくつかあるのです、、、
全て徒歩圏内ですので、京都観光の空き時間に少しでも新選組気分を味わってみてはいかがでしょうか、、、
まずは地下道を通って京都駅の北口へ向かでござるよ、、、
おろ、、なにやら萌え萌えしてますね、、、
いいですね、、かわいいでござる、、、
そう、京都は京アニの故郷、、、アニメや漫画などのサブカルチャーにはとても寛容な街なのです、、、
だから大好き、、、京都LOVEですね、、、
京都駅 北口
外国人のいない京都駅はやはり閑散としています、、、
良いのか悪いのか分かりませんが、経済効果がないのは確かでしょう、、、お察しします、、、
っていうか、だから来た、、、みたいな、、、
さておき、、、
私は、ここ北口から西側へ数分歩きます、、、
そして、現れるのがこちら、、、
京湯元ハトヤ瑞鳳閣
京都駅前にある老舗温泉旅館なのですが、、実はここ、新選組の3番目の屯所があった場所なのです、、、
壬生から西本願寺へ移り、そして洛中最後の屯所となったのがこの辺り一帯、、、
新選組の横暴に困り果てた西本願寺は、なんとか出て行ってもらおうと土方に相談した結果、、、
この場所に屯所を造って頂けるのであれば出ていく、、と約束しここに新しい屯所を無理やり造らせたのでした、、、
費用は全て西本願寺持ちで、、、
めでたしめでたし、、、
いや怖ぇよ土方さん、、もう完全にヤクザじゃん、、、
それに、そうまでしても出て行ってもらいたかった新選組の存在って、、、
さすがッ!!、、そこにシビれる、、あこがれるゥ、、!!
その証拠がこちら、、、
ここが新選組最後の洛中屋敷であった事を証明する碑が建てられています、、、
新しくて立派な碑ですね、、、とても嬉しく思います、、、
その屯所屋敷の大きさは、さながら大名屋敷の様だったそう、、、
30人は入れる大浴場まであったそうですよ、、、
さあ、それではお次です、、、
ここハトヤ瑞鳳閣からほど近い場所に道祖神社という神社があります、、、
そして、その隣にあるのが、、、
不動堂明王院
新選組の洛中最後の屯所は「不動堂村屯所」と呼ばれている事から、まさにこの辺りが屯所だった事は確かなのだそう、、、
その証拠にこちらでも、、、
「まぼろしの屯所」と書かれているのは、、詳細な場所が不明な事と、新選組がこの屯所に住んでいたのがわずか半年だったからでしょう、、、
そう、ようやく念願であった幕府直参になった新選組でしたが、大政奉還と王政復古の大号令により京都を離れる事になるのです、、、、、
ここから新選組は転落と絶望の運命を辿ります、、、
土方や近藤、総司もここ道祖神社や不動堂明王院で未来を憂いたのでしょうか、、、
ちょっと感傷に浸ってしまいます、、、
ということで、、次へ向かいましょう、、、
ここからほんの少し西へ進むと、大きな交差点があります、、、
この交差点の陸橋を渡ると見えてくるのが、、、
リーガロイヤルホテル京都
言わずと知れた一流ホテルです、、、
そう、ここも新選組の「不動堂村屯所」跡なのです、、、
どんだけ広かったんだよこの屯所、、、
その証拠に、、、
この立派な門の側にひっそりと佇んでいるのが、、、
新選組 不動堂村屯所跡の石碑
いいですね、、、
誠の文字とだんだら模様、、近藤勇の歌がしっかりと刻まれています、、、
立派な石碑ですね、、、新選組愛を感じます、、、
詳細を記した説明版も、、、
ザ、ズーム、、、
不動堂村屯所が、いかに広大かつ豪華であった事が分かります、、、
正式に武士となった近藤や土方たちは幸福感に打ち震えた事でしょう、、、
しかしながら、その生活もわずか半年、、、
京都を離れる事となった新選組はここから伏見の奉行所へと移ります、、、
勢力を拡大した薩長軍と戦う為に、、、そう、鳥羽伏見の戦いです、、、
これは以前訪れた時の写真ですが、、、
伏見奉行所跡
住宅街の中でポツンと佇んでいました、、、
実質的に新選組最後の屯所です、、、
ここで、薩長軍の銃撃に惨敗した土方たちは「もう刀の時代は終わった、、」と痛感したのでした、、、
さておき、、、
話を京都駅前に戻しましょう、、、
リーガロイヤルホテルから陸橋を戻り、少し北へ向かいます、、、
すると現れるのが、、、
油小路通り
油小路の変、、、新選組ファンならもちろんご存知ですよね、、、
そう、ここは元新選組の参謀であった伊東甲子太郎が、新選組によって殺された場所なのです、、、
近藤の妾宅に招かれた伊東は、しこたま飲まされたあげく泥酔、、その帰宅途中にここで襲われたのです、、、
さらに、その遺体をこの少し北にある交差点に放置し、遺体を回収に来た御陵衛士のメンバーたちに奇襲をかけたのでした、、、しかも大人数で、、、
そう、全ては近藤、いえ土方の計画通り、、、
怖ぇよ、、悪すぎるぞ新選組、、、
もはやヤクザより悪質です、、、でもカッコイイ、、!!
そして、、、
この油小路通りを少し進むと小さなお寺が現れます、、、
ここは新選組ファンにとって極めて重要な場所と言えるでしょう、、、
なんせ、ここ本光寺は「伊東甲子太郎絶命の地」とされているのですから、、、
閉門時間の5時を過ぎていましたので中には入れなかったのですが門前には、、、
伊東甲子太郎外数名殉難之跡の石碑
外数名とありますが、その中には試衛館メンバーとして苦楽を共にした藤堂平助も含まれています、、、
そう、藤堂平助もここで亡くなったのです、、(正解には少し先の交差点)
襲撃するにあたり、近藤は「平助だけは助けるように、、」と命令したのですが、その伝達がうまく伝わらず平隊士たちに殺されてしまったのだそう、、、
ちょっと近藤さん?、、ホウレンソウ大事~~~
っていうかちゃんとしてッ、、!!
平助が死んじゃったじゃねぇかよ、、、
試衛館メンバーで副長助勤、八番隊組長だった逸材なのに、、、
なんて思っちゃいますよね、、、
ということで、、、
油小路の変、、歴史的に見れば何の影響も及ぼさない些細な抗争事件です、、、
しかしながら、、ここは新選組ファンにとっては極めて重要な場所であり、悲しい場所でもあるのです、、、
ちなみに、この写真は以前訪れた時の本光寺内の石碑、、、
「伊東甲子太郎 絶命の跡」とあります、、、
伊東甲子太郎はこの石碑にもたれながら息を引きとったのだそう、、、
しっかりと手を合わせて、、、
ちなみに、ここ本光寺の御朱印は伊東甲子太郎が好きだった紫のスタンプが押されているそうですよ、、、
やはり、つくづく思います、、伊東甲子太郎は新選組に入るべきではなかったと、、、
もしそうであれば、藤堂平助もここで命を落とす事なく、土方と共に函館に向かったのではないでしょうか、、、
そんな妄想をしながら本光寺を後にするのでした、、、
以上、、京都駅前のプチ巡礼でした、、、
どうでしょうか、、?
あまり知られていませんが、、、京都駅から徒歩で、しかもわずか一時間くらいで幕末&新選組気分が味わえるなんて、ちょっと素敵じゃないですか、、?
かなりオススメです、、!!
皆さんもぜひ、、!!
読んで頂いた方々に感謝です、、、
ありがとうございました、、、